じょんしゅう日記

映画や本の感想が中心

『アナと雪の女王』と、映画館で歌うこと・音を出すことについて

さきほどこんなまとめをみていた↓

「ここ映画館なんで・・・」アナと雪の女王の『みんなで歌おう版』で歌った観客が苦情を受け激怒 - NAVER まとめ

 

アナと雪の女王』は私も見た。面白かったのは、チケット引き換えのために並んでいたら、このまとめでも問題になっている「みんなで歌おう版」が販売中チケット一覧に表示されていたということだ。私のチケットはそのバージョンのやつではなかったので実際に体験したわけではないが、どうやら、上映中、歌の場面で、歌詞を見ながらみんなで斉唱(多分合唱ではないよな?)するものだという。

今たいていの映画館では、みんな静かに鑑賞しており、音を出さないように気を使っているように思う。時折音を出してしまうと、何となく申し訳ない気持ちになる。私もそうした現在の映画館の規範を内面化しているフシがある。

デートの時に映画館を選ぶことには賛否があるが、それはどちらもこの規範と無関係ではないように思う。賛成派の意見としてよく耳にするのが、会話が苦手な人にとって初デートなどでは会話のいらない映画は良いのだというもの。反対派の場合は、映画というのはせっかくのデートなのに会話が出来ないからいかんというもの。ここでは映画館では会話などの音を立てるコミュニケーションは考えられないということが前提となっている。

また、以前、映画館でのフィルムコンサートに行ったときにこんなことがあった。入り口でサイリウムを渡され、上映が始まると光ったサイリウムを降り始めるのだが、誰も声を出さない。私含め、みんな無言で席に座りながらサイリウムを振っているというなんとも奇妙な空間であった。その時たまたまそうだっただけかもしれないし、単に恥ずかしいだけの人もいるだろうが、映画館で声を出して良いのだろうか、という気持ちもあったのではないだろうか。

冒頭にあげたまとめでの騒動にはこうした規範が深く関わっているだろう。

しかし現在とは異なり、映画の鑑賞というのはかつて、様々な音に満ちた中でなされるものだったのではないだろか?ということは、以前に音楽研究書の『聴衆の誕生』で書かれていた音楽コンサートでの観客の聴取スタイルについての箇所を読んで以来、漠然と思っていたことだった。

そんな中、少し前に加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(2006)という本をめくった。そこに映画館の静粛性のことが書かれており興味深く読んだ。加藤によれば、例えばアメリカのサイレント初期の上映空間は「祝祭空間」とでも言うべきもので、観客の歓声、指笛、口笛、映画についての意見を語るおしゃべりや、米語がわからない移民の知人に対して翻訳してあげる声などで満たされていたようである。そして、1910年代なかばまでのニッケルオデオンでは「静粛性」を求める案内表示が出されるようになるというが、一方で上映の合間にはスライドとその伴奏音楽にあわせて観客が大合唱するような空間であり、観客はそのスライドショー付き館内合唱を映画と同じくらい楽しみにして来館していたというのだ。また、1930年代の映画館では、当時入退館自由であった観客の出す音、野次や歓声が飛ぶことも珍しくはなかったようである。日本でも同様に、1930年代後半の映画館では映写中に「芝居でもみてゐるやうな気で弥次つたりする連中」、上映後に拍手を送る人々がいたようである。

余談だが、ベンヤミンが論じた映画の気散じ的な受容というものの背景にも、こうした鑑賞スタイルがあっただろう。

映画館は、こうした祝祭的な、映画の音響以外の音に満ちた空間であったというわけだが、しかし加藤によると、映画館を満たしていた音は次第に「雑音」として排除されてゆくことになる。「芝居でもみてゐるやうな気で弥次つたりする連中」と記したのは当時の映画雑誌だが、それは音を出さずに見る観客と音を出す観客とを分けて、前者を規範的な観客モデルに、後者を雑音を出す連中として対置し、後者を排除するための言説であったという。この規範が推し進められると、映画館は厳密に静粛性の求められる、個々人が直接スクリーンの物語に没入するような空間になっていくのだ。

上映中に眠る男のイビキに怒ったある観客についての体験談の中で、著者はこう言っている(284-285頁)。

映画館はかつては(インドなどでは現在でも)さまざまな雑音に満たされた空間であった。隣同士の親しげな会話、上映技師に浴びせられる観客の罵声(現在なら携帯電話の呼び出し音)など、多種多様な雑音が上映中の映画の音響とたえず混じり合う場所である。映画館に強度の静粛性がもとめられるようになったのは、一一〇年ほどの映画史においてもつい最近のことにすぎない。

厳格な静粛性の規範が作動するのであれば、おそらく映画の中には、静粛な、個人的な、没入型の鑑賞スタイルを前提に作られる作品もあるのではないかと思うのだが、実際の所どうなのでしょうか。

いずれにせよ、みんなで歌う映画、『アナと雪の女王』が上映されたというのは結構面白いことなのかもしれない。「映画館では静かにするのが当たり前である」という規範が広く共有されているであろう現状に何か影響を与えるだろうか。実際に他のいわゆる普通の映画の上映中に、かつてのように歌や歓声が聞こえ始めるようになるということはあまり無いだろうなとは(何となく)思うが、しかしこうした音を立てる鑑賞の在り方がもう1つの鑑賞スタイルとして広まるのか?広まらないのか?どんな風に?といったところは興味深く見守りたい。

ところで、まとめにあるようなケースではなく、非常に大盛況の場合の「歌おう版」、つまりみんなで歌いまくってる「歌おう版」の上映中に、おしゃべりや歓声をあげたらどんな反応になるんだろうか?というのが結構気になる。

 

 

映画館と観客の文化史 (中公新書)

映画館と観客の文化史 (中公新書)