じょんしゅう日記

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〔試訳〕モンゴルのホーミーその他の音楽について(その2)

この文章について
ホーミーを中心としたモンゴル音楽のアルバム“Jargalant Altai: Xöömii And Other Vocal And Instrumental Music From Mongolia.” (Pan 2050), 1996のライナーノーツの試訳【第2弾】です(前回からだいぶ時間が経ってしまいましたが…。)数回に分けて掲載する予定です。

第1弾はこちら↓

・このアルバムはオランダのPAN Recordsから発売されています。発売元のレーベルから訳文掲載の許可を得ています。快諾してくれたPAN RecordsのPresident、Bernard Kleikampさんに感謝します。
・1996年に出たアルバムのライナーノーツですので、現在から見ると古い記述、正確でない記述もあると思いますが、ホーミーあるいはモンゴル音楽の概要を知る一つのきっかけとしては良いかと思います。
・ライナーノーツには図版や写真も載っていますが、ここでは省いています。
・間違いや気になる点などあったらご指摘いただけると助かります。
・ちなみに肝心のアルバムは簡単に手に入るので、興味があれば聴いてみてください。「鉄道唱歌」とほぼ同じメロディーとして知られる'Humankind'のホーミーバージョンと口琴バージョンも入っています。

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(承前)

ホーミーの歴史と起源

 モンゴルについての主要な史料はホーミーの歴史に関してほとんど何も教えてくれない。一般に推測されているのは、この歌唱形式は、地理的には現在西モンゴルの各県(アイマク)とロシアのゴルノアルタイおよびトゥヴァの領土となっているアルタイ山脈地域のどこかで生まれたということだ。西はウラル山脈まで達する倍音唱法の広がりは、通例、かつてのモンゴルの侵略の影響と関連付けられる。モンゴルの人々は彼らのホーミーの伝統の長さを誇りに思っている。ツェレンダヴァは、チャンドマン郡は1500年前に遡るホーミーの歴史を持っていると主張した。だが、いつまでその伝統が遡れるのかを正確に言える者はいない。

 ツェレンダヴァの言葉によると、ホーミーは「世界の美しさへの驚嘆を表す方法として生まれた」。トゥヴァやバシコルトスタンと同じく、モンゴルにおいて、倍音唱法は牧人によって、素晴らしく壮麗な環境への反応として歌われた。倍音唱法は特定の地理的な特徴――山、谷、湖、川や小川――と結びつけられるようになった。それらの特徴は、歌手にインスピレーションと、理想の音響的な舞台を与え、相当遠くまで声を届けることを可能にした。近年のモンゴルにおけるホーミー・リバイバルのシーンであるチャンドマン郡は、ある風景的特徴と倍音唱法の実践との結びつきの、完璧な事例を与えてくれる。

 チャンドマンの村は、ジャルガラント山(本CDのタイトルはここからとっている)の西の傾斜の下に位置している。ジャルガラントは、アルタイ山脈の、メインの山塊とは区別される、支脈を形成する2つの高山のうちの1つである。この山はチャンドマン郡の西の境界にもなっている。2つの大きな、そして2つの小さな湖が北と西の境界となり、中央部分はまあまあ乾燥しているステップのエリアになっている。

 これらの地理的な特徴は、チャンドマンの人々が彼らの郡においてホーミーがいかに生まれたのかを語る物語に深く関わっている。彼らは、ジャルガラント山の周りを巡り、ステップを駆け抜け、湖面を吹き抜ける風が生み出す特別な音について語る。山の上部斜面の大気の希薄さは、山の斜面を流れる小川が作る音(ノイズ)を含め、聞こえる音の多くが、非常に澄んだ美しい自然のものであることを意味する。ホーミーチ(ホーミー奏者)は、彼らの愛するチャンドマン地域で耳にする、無数の自然の音からのインスピレーションを描く。

 ホーミーは、山、川、湖との関連を介して超自然的な概念とも間接的に結びついているが、過去のシャーマン的な実践との密接な結びつきを示唆する証拠は不十分である。モンゴルの人々は、山々を、守護の特別な力を授けてくれる聖なる場所としてみなしている。チャンドマン郡の人々はジャルガラント山をそのように語っている。叙事詩を語る前に、奉納として、アルタイ山脈に歌った賛歌の例もある。モンゴルの民話と神話において、川もまた特別な位置を占める。西モンゴルの人々の多くは、とても美しい音を作り出すと言われホーミー誕生の地として語られる有名な川、エービ川について物語る。やはり、エービ川の話には超自然的な要素が含まれており、チャンドマン郡で考えられているように、この川は人間がより美しく、動物たちがより大きく強くなる場所とみなされている。この川は実際に存在するかどうかもわからない。私はエービ川を見たことがあるという人を知らない。その正確な場所については、ばらばらの意見が存在している。

 

チャンドマン郡におけるホーミーの近代的リバイバル

 革命前のモンゴルにおいてホーミーは、動物たちの番をする羊飼いたちによって歌われた。さらに、それは家族や他の羊飼い、そしておそらく動物たちへの信号の手段として使われてきた可能性がある。ホーミーはまたゲルの中や、特定の祭において歌われた。ホーミー歌唱の実践がラマの間で好ましくないと思われていたにも関わらずである(ラマ教は長いことモンゴルの中心的な宗教である)。

 20世紀のはじめにホーミーが音楽芸術の形式に変化したことは、地元の劇場を開き、地域の音楽やダンスのアンサンブルを発展させるという政策の導入と関係がある。このリバイバルには、ほとんど専ら、チャンドマン郡出身の一連の有名な歌手たちが関わっている。

 最初は、チョローンである(ツェレンダヴァは、私たちとの録音セッション中、彼の名前をマハンチョローンと言っていたが、他の人はトゴン・チョローンと呼ぶ)。チョローンが、チャンドマン郡の、そしてモンゴル全体に広がっていくホーミー・リバイバルを引き起こした。彼の複数の弟子(ツェレンダヴァもその1人)が、ホーミーをプロないしはセミプロとして演奏するようになった。残念ながら、彼自身の歌は録音されなかったようである〔訳注:Matthew Hoch(ed.) , So You Want to Sing World Music: A Guide for Performers, p.383によると、チョローンは1890年頃に生まれ1930年頃まで活躍したそうだ〕

 チョローンに続くのは、1950年代と1960年代のチメドルジとスンドゥイである。前者はモンゴル・ラジオによって初めて録音されたホーミー奏者である。スンドゥイは最初ホブド市の劇場で働いていたが、後にウランバータルの国立民俗音楽舞踏アンサンブルに加わった。彼の特徴的な演奏様式は、ツェレンダヴァやガンボルドのような若い歌手に大きな影響を与えた。スンドゥイは既に引退しているが、おそらく今でも最も有名なモンゴルのホーミー奏者である。

 1970年代末と1980年代のはじめに、並外れた才能を持つ3人の歌手が登場した。センゲドルジ、ツェレンダヴァ、そしてガンボルドは、モンゴル内部でのホーミー・リバイバルを継続させているだけでなく、広く海外ツアーをして、その特筆すべきボーカル・ミュージックを世界中のオーディエンスに紹介している。

 センゲドルジは長年ホブド劇場におり、一方でガンボルドはウランバータルでプロとして演奏している。多くの評者たちが、ガンボルドが彼の世代の最高のホーミー奏者だと思っているが、彼を聴いたことのある人は比較的少ない。対照的に、ツェレンダヴァは多くのラジオやテレビ放送のおかげで、かなりの人に知られている。しかし、彼は今でも故郷のチャンドマン郡でトラックドライバーとして働いている身である。

 より若い歌手たちも登場し始めている。その中で、ツォグトバータルは、ホブド市出身のウリヤンハイ族であり、センゲドルジに師事し、ウランバータルのアンサンブルで演奏している。多くの子供たちとティーンエイジャーたちがウランバータルで、ガンボルドおよびやはりプロのホーミー奏者である弟のゲレルツォグトからの教えを受けている。こうして徐々にチャンドマン郡から離れていく動きが、長く続く傾向になるのかどうかは、まだわからない。

(続く…)

 

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【訳者補足】

スンドゥイがホーミーを演奏する動画。


Mongol Khuumii by Sundui

 

こちらにはツェレンダヴァとセンゲドルジが登場している。最初にソロでホーミーをしているのがツェレンダヴァ(右から2番目)。4番目にソロでホーミーをしているのがセンゲドルジ(右から3番目)。ちなみに1番右がガンツォリグ、1番左がオドスレン。


4 great masters of throat singing in Mongolia