じょんしゅう日記

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〔試訳〕モンゴルのホーミーその他の音楽について(その1)

※noteのアカウントを作って一度そちらに以下の文章を載せましたが、やっぱこっちに載せます。noteのはそのうち消します。

 

この文章について
ホーミーを中心としたモンゴル音楽のアルバム“Jargalant Altai: Xöömii And Other Vocal And Instrumental Music From Mongolia.” (Pan 2050), 1996のライナーノーツの試訳【第1弾】です(2、3回に分けて掲載する予定です)。このアルバムはオランダのPAN Recordsから発売されています。

【補足】
・発売元のレーベルから訳文掲載の許可を得ています。快諾してくれたPAN RecordsのPresident、Bernard Kleikampさんに感謝します。
・1996年に出たアルバムのライナーノーツですので、現在から見ると古い記述、正確でない記述もあると思いますが、ホーミーあるいはモンゴル音楽の概要を知る一つのきっかけとしては良いかと思います。
・ライナーノーツには図版や写真も載っていますが、ここでは省いています。
・間違いや気になる点などあったらご指摘いただけると助かります。
・ちなみに肝心のアルバムは簡単に手に入るので、興味があれば聴いてみてください。「鉄道唱歌」とほぼ同じメロディーとして知られる'Humankind'のホーミーバージョンと口琴バージョンも入っています。


ジャルガラント・アルタイ:モンゴルのホーミー、その他のボーカル&楽器の音楽
クリス・ジョンストン、1996年

このCDは「ホーミーxöömii」あるいは西洋では倍音唱法として知られる卓越したボーカルテクニックを取り上げている。この唱法は、同時に2つの別個の音を生み出すという特徴がある。つまり、低い基音となるドローンと、フルートのようなホイッスル音であり、後者はメロディを奏でるのに使われる。腕の良い歌手によって生み出されるこのサウンドは、実に驚くべきものであり、初めて聴いた人の多くは、2人のボーカリストの声を聴いているものだと思い込んでしまう。
 本コレクションは、ここ35年間の、多くの第一級のホーミーチxöömiich(ホーミー・シンガー)による演奏を収録している。音楽芸術形式としての倍音唱法の近年の発展はもちろんのこと、地域的な差異にも光を当てるために、幅広く様々な内容を収めている。それ以外には、別の関連するボーカル曲および器楽曲の事例を取り上げている。コレクションの前半は、1994年秋のモンゴルへのフィールドワークの際におこなったフィールドレコーディングに基づいている。後半はモンゴル・ラジオのアーカイヴの録音を収めている。本アルバムJargalant Altaiは、PANレーベルから発売済であるUZLYAU. Guttural Singing of the peoples of the Sayan, Altai and Ural Mountains(PAN 2032CD)の姉妹編とみなすことができる。

 

モンゴル国
中国とロシア連邦に挟まれたモンゴルは、中央アジアの北に位置する大きな内陸の国である。面積はおよそ156万5000平方キロメートルで、だいたいフランスの3倍にあたる。広大で開放的な景色を持つこの国は、国土の中央を横切る広々とした緑の帯の、終わりの無いようにも思える大草原地帯によって象徴される。乾燥し、岩の多いゴビ砂漠の大地が南部を占めている一方で、モンゴルの森の大部分が、いくつかの非常に大切な湖や川とともに、北部に位置している。2つの重要な山脈がある。つまり、標高4,000メートル以上にも及ぶ西部のアルタイ山脈と、中央部に向かって延びるハンガイ山脈である。
 モンゴルは寒く、乾燥した大陸性気候で、それは通常マイナス40℃からプラス40℃の幅を持つ極端な気温をもたらす。澄んだ青い空のときが多い――1年間のうち250日以上が、晴れた陽当たりの良い日である。
 その大きさにも関わらず、人口はわずか225万人〔訳注:現在は約323万人※2018年のデータ〕であり、地球上で最も人口がまばらな国の一つとなっている。住民の半数近くが今日では様々な町や市に住んでいるが、大多数の地方住民が伝統的な、牧歌的ノマド生活様式をまだ守っている。こうした人々の生活は、過去数十年間、あまり変わっていない。彼らは白い、フェルトで覆われたテント(ゲル)に住み続けているし、羊、牛、馬、山羊、ヤクそしてラクダを生活のために飼っている。モンゴルのユニークな伝統音楽は実のところ牧者の音楽であり、しばしば荘厳でもあり、しかし過酷で恐ろしくもある故国の大地との強い絆を反映している。
 モンゴルは幾分波乱に富んだ歴史を歩んできた。モンゴル帝国は中世に、アジアの大部分と東ヨーロッパを制圧したが、しかしその驚くべき軍隊の成功は、維持することができなかった。モンゴルは結局満州支配下に置かれた。1921年の革命のすぐ後にモンゴル人民共和国が世界で2番目の共産主義国家となり、ソビエト連邦の軍事的、経済的な援助に大きく依存した。モンゴル国は今、民主主義国家としての道を歩み始めたところだ。
 この国には20以上の異なる民族集団(あるいはヤスタン)が住んでいる。最も多いのはハルハで、全人口の75%以上を形成している。このCDの録音の多くもハルハの歌手や音楽家のものである。

 

倍音唱法
I.モンゴル以外

倍音唱法が見られるのは、主に南シベリアと中央アジアのいくつかの地域に限定されている。それは、北西モンゴルとの境界に位置する、ロシアの自治共和国トゥヴァの人々の間で最も普及している。トゥヴァの人々はその倍音唱法を「ホーメイkhöömei」と呼ぶ。何百人もの熟練したホーメイ演奏家がいるようで、首都クズルでは定期的にコンペティションが開かれている。トゥヴァの人々は、ホーメイの、いくつかの異なるスタイルとサブスタイルを発展させてきた。これらは多数の様々な専門家によって、広く調査され、録音されてきた。
 ハカシアとゴルノ・アルタイスクの隣接地域の人々もまた倍音唱法の伝統を持っている。しかし、少なくともゴルノ・アルタイスクにおいては、プロパーの二声部唱法歌手は、生きた伝統としては途絶えてしまったと思われる。
 倍音唱法はロシアの自治地域でウラル南部に位置するバシコルトスタンでもまだ演奏されており、当地では「ウズリアウ」として知られている。残念ながら、この伝統も危機的である。1992年にヴャチェスラフ・シュロフとファリト・カマエフによって行われた探検調査により、このスタイルの唱法をマスターしていたのは2名の歌手だけということが明らかになったのだ。二声部歌唱はヴォルガ下流域のカルムイクの人々によっても歌われるが、やはりこの実践も非常に少ない演奏家に限定されているだろう。
 中央アジアを離れると、南アフリカのコーサの人々が、おそらく唯一の注目すべき倍音唱法の伝統を持っている。 それはumngqokoloとして知られている。

 

II.モンゴル
モンゴルでのホーミー唱法の実践は、最近まで西部の疎らな地域、現代の区分で言うとホブド、バヤン・ウルギー、オブスの各アイマク(県)の境界内に限られていた。ホーミーは伝統的に、それぞれの県内の特定のソム(郡)と関連を有してきた。
 モンゴルのホーミーの、近代におけるリバイバルの中心地は、もっぱら、西ハルハ・モンゴルの集団が住むホブド県のチャンドマン郡周辺である。チャンドマンの歌手たちは、コンサート演奏やテレビ、ラジオ出演などを通して、国内および海外のオーディエンスの双方にホーミーを紹介してきた。結果として、チャンドマン郡はホーミーの「本場」としての名声を獲得した。
 対照的に、バヤン・ウルギー県とオブス県における倍音唱法の伝統は、ここ数十年で縮小してきている。バヤン・ウルギーでは、以前は「ホーミー」はツェンゲル郡に住むトゥヴァ人によって演奏されていた。しかしその数は、同県の大半を占めるムスリム・カザフの増加にともなって、著しく減ってきている。
 ホーミーは北側でトゥヴァと接しているオブス県のバヤド族でも広く演奏されていた。バヤドの歌手たちは、トゥヴァの人々によって演奏される倍音唱法を聞いて影響を受けていたようである。1921年以前には、境界を越えた多くの接触があったが、その後のオブス県におけるホーミーの衰退は、続く数十年の「鎖国」政策に原因があると考えられる。今日、オブスでの倍音唱法は、少数の孤立した個人に限定されていると思われる。

 

ホーミーの技術とスタイル
「ホーミーxöömii」(頭文字のxはhとして発音する)は、咽頭を意味するモンゴル語であり、西洋で倍音唱法として知られる歌唱スタイルを指す名称でもある。この歌唱形式の独自性は、1人の演奏家が、固定された、基音となるドローンを維持する一方で、同時に笛のようなメロディを生み出すことが可能である、ということだ。そのメロディは選択され、強調されたさまざまな倍音(基音の周波数の整数倍)によって作られる。倍音は普段は彩りとしてのみ聞かれ、それ自体はっきりとした音としては聞かれない。ところが倍音唱法において、倍音は基音よりも大きな音となる。歌い手は咽頭の動き、口腔と唇の形状、舌の位置を正確に制御しながら、強い腹圧で肺の空気を押し出すことでこれを実現させる。口は、モンゴル語の母音を発音するような形となる。前舌母音と後舌母音は、それぞれ高い音と低い音を生み出す。全体の運動は演奏家に卓越したブレス・コントロールを要求する。
 モンゴルの人々は最近になって、異なるスタイルのホーミーを分類し始めている。下記のリストは、チャンドマン郡の有名なホーミーチ、ツェレンダヴァによって示された5つの主要なタイプである。

  • a)唇のホーミー
  • b)口蓋のホーミー
  • c)声門のホーミー
  • d)胸腔のホーミー
  • e)鼻のホーミー

 他の有名なホーミー・シンガーたちはホーミーのスタイルをやや異なる仕方で分類する。上記の分類は充分ガイドとしての役目を果たすけれども。それぞれのスタイルは異なる共鳴器を使うため、特有の音質を生み出す。個々の歌手はこれらのスタイルの1つあるいは2つの演奏に特化していることが多いが、個人的な嗜好か、あらゆるタイプのホーミーを演奏するのが無理であるためかのどちらかである。
 しかし上記の分類は、とりわけ西ハルハの歌手によるホーミー演奏に当てはまるということを強調しておくのは重要である。他の民族集団(ヤスタン)は、独自の用語と、より重要なことに、独自のホーミーのスタイルを持っており、それは西ハルハのものとは大きく異なる。また、個々の歌手の多く(ハルハの演奏家も含む)は、一般的な分類からはみ出すような個人個人のスタイルを発展させてもいる。
 メロディックな笛の音なしで基音が歌われる、ハルヒラxarxiraaという歌唱スタイルもまた、分類が難しい。ホーミーの別の形式とみなす評者もいる。全く別のタイプの歌唱だと見る者もいる。ハルヒラは、喉の筋肉が緩み、緊張していないという点で、喉歌の他のスタイルとは違っている。そのことは、歌手が、ただメロディを生み出すのではなく、詞を伴った歌を歌うことをも可能にしている。この点においてハルヒラは、やはり喉声の技術である、西モンゴルの叙事詩人が使うハイラハxailaxという歌唱スタイルと似ている。

 

習得の方法
ツェレンダヴァ曰く、ホーミーは「スポーツと同じくらいに、強靭さと忍耐力と鍛錬(つまりトレーニング)が求められる卓越した技芸だ」。トレーニングと学習の期間は、通常子供時代から成人早期にかけてである。学習者は徐々に歌唱技術を仕上げていき、よりハイレベルな演奏に必要な力を獲得していく。生徒は、かつては主に他の歌手を聴き、そのサウンドを真似することで学んだ。しかし現在は厳密な授業と指導を通じて伝統を伝えるための、よりしっかりとした取り組みが存在する。
 歌手の多くが、ホーミーを野外で練習することの大切さを強調する。ツェレンダヴァはこのことについて、以下のように述べた。「ホーミーの練習の独特な点は、生徒たちは最初から外に出て、新鮮な空気の中で、自然と雄大な山に囲まれて練習する必要があるということだ。ホーミーの音は風の音と混じり合う時に、より美しくなる。これでコンディションが整う。さまざまな自然環境(谷、山、草原)、天候(風の強い日、穏やかな日)の中で歌うことは、生徒たちが、ホーミーに関する特有の困難を見分けることを助けるだろう。彼らは、プロの歌手になるために必要な特定の音と技術を浮き彫りにすることができるだろう。」
 ホーミーは、歌手に強いストレスと緊張感をもたらす非常に難しい歌唱のスタイルである。ほとんどの歌手が、一度は身体的な副作用を経験する。若い歌手は自分に合ったスタイルを演奏することを奨励され、より年齢が上の人々は倍音唱法をやめることが奨励される。女性のホーミーチに対するタブーは緩くなったが、女性がホーミーを演じる年齢を規定する厳格なルールは残存している。はたして、女性の倍音唱法歌手は非常に少ない。

 

(続く/To be continued..).